ダイバーシティ

ダイバーシティ&インクルージョンについて色々思ったことを書いたブログ

ぼくの人生観を変えた配属 1

  先述した通り、ぼくは、十数年の営業本部での活動の後、2004年6月に営業本部内の人事部に配属された。当初は、採用とトレーニングの担当だったのだが、一ヶ月程経った或る日、上司に呼ばれて、「現職に加えて、キミに営業本部のダイバーシティ担当になってもらいたいと思う」と言われた。「我々は、全社的にダイバーシティをビジネス戦略のひとつとして取り入れることが決定し、営業本部もダイバーシティ活動に本腰を入れていくと言う表明もこめて、特に男性が多く、得意先も男性社会の多い営業本部であるからこそ、男性のキミに担当してもらいたい」との理由だった。

 当時のぼくは「ダイバーシティ」に関して、全く興味も無く「セクハラのトレーニングでもするのか」程度の認識しかなかった。

 それからすぐに、ぼくの前任者だった女性に、「毎月第二水曜日の昼休みに『ダイバーシティ・ネットワーク・ミーティング』という、社内の各本部のダイバーシティ担当者が集う、ランチョン・ミーティング(昼休みに昼食を食べながら和やかに行う会議)があるんですけど、絶対出なきゃいけないっていう会議じゃないんです。でも、出たら参考になると思いますよ。それが今日あるんですが行ってみます?」と言われた。

 参加しない理由もないし、ダイバーシティとやらを知るきっかけにでもなればと思い、軽い気持ちでその彼女と一緒に出ることにした。

 昼休みになり、近所にお弁当を買いに行った都合で、ちょっと遅れて会議室のドアを開けた瞬間、そこでは、十名ほどの女性が、流暢な英語で、楽しそうにランチを食べながらダイバーシティの議論をしていた。ぼくは、女性ばかりのミーティングに参加したことがそれまでに無く、また英語も得意ではなく、ダイバーシティの知識も無く、気がついた時には、何も無かったように「回れ右」をして部屋を出ようとしていた。

 もちろん、そう思い通りにいく筈もなく、大人しく椅子に座り、繊細なプラモデルをいじる少年のように、時間を掛けて、音を出さないように弁当の蓋を開けはじめた。

 「ミーティングでは必ず発言をする」ことと、「出された食べ物は残さない」ことがぼくの数少ない決め事だったのだが、まるで「クイズ・ドレミファドン」で、お手付きをしてバツ印のついたマスクをつけられた解答者(比喩が古いが気にしてはいけない)の様に、食事も喉を通らず、ただ座って遠い眼をして26階の窓から見渡せる大阪湾を眺めながら、時間が流れていくのをただ見送っていた(海は広いな、大きいなぁ…)。

  ぼくの入社以来の決め事は、海辺に造られた砂の城のように、呆気なく崩れ落ちていったのは言うまでもなかった。

 このままでは、「お地蔵さん」とか「断食くん」とか訳のわからないあだ名で陰口を叩かれてしまうという恐怖に駆られ、それから早速、当時のダイバーシティ専任マネージャーに時間を作ってもらい、ダイバーシティの基礎知識や会社の方向性のレクチャーを受けたり、新聞記事のスクラップや本、インターネットなどでダイバーシティと名の付くものは、片っ端から読み漁り、翌月のミーティングに臨むことになった。

 努力のお陰か、大体何を話しているのか理解出来るようになり、全体的なコンセンサスが、ちょっと営業部門とは違う方向で決まりそうになった時に、ぼくは手を挙げて、英語で発言を始めた。

 しばらくは英語で続けていたが、途中でどうしても伝えたいことが英語で伝えることができない、でもどうしても伝えたいという状況に陥り、「スミマセン、どうしても伝えたいことがあるので、ここから日本語で話させて下さい」と英語で言った。

 すると、当時法務本部長(米国出身・もちろん女性)が「気にしないで、私も日本語が話せない」と言ってくれた。

 ぼくは、すっと心に優しい風が吹いたような心地よさを感じた。

 そして彼女は、「あなたの意見は、面白いし納得できる」と共感してくれた。

 今思えば、初回の会議で私は少数派(マイノリティ)の何とも言えない居心地の悪さを実感し、二回目の会議で、勇気をもって扉を叩いたことで、インクルージョン(包摂性)という包み込まれるような感覚を実感したのだ。

 きっと他の出席者は思っていないのに、少数派は思った以上に緊張するし、居心地が悪い。そう感じるのはぼくだけではないと思う。

 この経験でぼくはダイバーシティと(そして後からきっと触れることになるだろう)インクルージョンに関して、その奥深さに興味を持つこととなった。

 また翻って考えると、今回のぼくの少数派の経験は、当時の営業本部にいつも存在していた「男性ばかりに女性ひとりだけ会議」で女性が感じている感覚ではないのかと気づいた。

 当時、この会社はダイバーシティが出来ている等の評判が外部からはあったのだが、その時、「ぼくにはやることがまだたくさんある」と思ったことを覚えている。

<次回へ続く>