ダイバーシティ

ダイバーシティ&インクルージョンについて色々思ったことを書いたブログ

営業本部でのダイバーシティ推進活動 2

 それまでの女性社員からのインタビューや、ほかにも色々ダイバーシティを深く理解していこうとした過程の中で、自分なりに考えたぼくの見解は以下の通りだった。

 そもそも女性社員と男性社員では人生設計やキャリア・プランの立て方が違う。女性は結婚、出産、育児、配偶者の転勤などで、人生設計を組み替える必要に迫られることが多い。男性は結婚や育児などで働く環境が大きく変わることはあまりない。それが正しいかどうかは今回触れないが、それが日本に横たわっている現状だった(多国籍企業に属していると、これが一般的な事なのか日本特有の傾向なのかどうか分かる)。

 だから、女性社員のほうが、この1年とか、1年半など、男性に比べてより短期のキャリアに関心が高くなる傾向がある。だから、半年に1度(レビューは2、3か月に1回)行われ、正式に記録が人事で保管される上司との個人面談はとても重要な機会となるのだ。通常でもあんまり深く話が出来ていないのなら、なおさら期待は高まるはず…。

 部長は男性社員と女性社員と同じ進め方で個人面談をしているというが、女性社員のほうが面談への期待が高い分、結果として満足度が低くなるのではないか…。

 一人ひとり違うんだから、同じじゃなく、部下に応じてコミュニケーションを変えていく必要がある。女性社員が全てそうだとは言わない。だってみんな一人ひとり違うのだから。しかし、このような傾向があるのが現状なのであれば、プライベートの状況なども理解していく必要があるのではないか…。それによって、見つかる何かがあるはず…。

 できる限り穏当な表現を使いながら、以上の様なことを見解として説明した。すると、「プライベートを聞き出すというのは、セクハラにならないのか?」と部長。

 ぼくは、思うところもあったが、「その辺も含めて女性社員の皆さんに聞いてきます」ということで、その場は終わった。(ちなみにぼくの思うところのひとつは、「何でもかんでもセクハラで一括りにするな!」である)

 その後、女性社員を集めたネットワーク・ミーティング(詳細は後日説明する予定)で、「こんな感じ(上級管理職会議の経緯)になってんけど、個人面談で上司にプライベートに関して話するのってイヤなん?例えば近いうちに結婚する予定があるとか…」と参加者に尋ねたら、みんなはお互いに顔を見合わせてから「そんなん、人によるやんなぁ!」と誰かが言って、場内が笑いに包まれた。

 「やっぱり、プライベートで大きくキャリアプランが変わるのは事実だし、そこも含めて上司と話し合いが出来れば、もっと深い面談ができると思う。でも、上司たちのお酒の席のネタにされるかもしれないと不安に思っている人も結構いると思う…」とネットワークのリーダー的な存在のAさんがこたえてくれた。

<次回へ続く>

 

営業本部でのダイバーシティ推進活動 1

 営業本部では、やはり女性の比率を上げていくことによってダイバーシティを活性化させることが重要な戦略であるのは明白であった。

 前回のブログでも述べたが、女性比率は10%程度(つまり10人の部署で女性がひとりだけ)であり、入社後5年間での離職率も男性に比べて明らかに高かった。また、毎年行っている従業員意識調査を調べてみると、総合的に見て男女において満足度の差に違いがあった。つまり、男性よりも女性の会社に対する満足度が低かったのだ。

 原因としては、まず、日用雑貨(洗剤、石鹸、紙おむつ、トイレットペーパーなど)業界がまだまだ男性が多く、チェーン本部のバイヤーや卸店の仕入れ担当者や営業社員も男性が多く、またメーカーの営業も男性が多く、女性はサブ的にサポートしているという環境であったこと、また、社内においては、女性の定期採用を始めたのは1988年からであり、40代以上の女性がほとんどいない状況であったことも考えられた。もちろん他にも色々な要素があった。

 これまでは、「まあ、時間はかかるけど少しずつ改善していきましょう…、では次の議題…」で済んでいたかもしれないが、ダイバーシティを推進していくというのは、このような課題を絶好の機会と捉えて、積極的に踏み込んでいくということなのだ。

 そこで、まずグループ・インタビューや個別面談などを行って、徹底的に現状分析をしていった。例えば、男性と女性と同じ質問をして、どのような違いがあるのか?特にどういうところに満足度のギャップがあるのかなどを調べていった。

 問題点は、波が引いた砂浜からヤドカリや小さなカニが顔を出すように、ぼくの目の前に少しずつだが続々と現れてきた。

  • 女性の先輩が少ないので、参考にできるロール・モデルがない
  • 得意先も社内での会議でも女性がほとんどおらず気を張ってしまう
  • 上司が女性の部下の接し方に慣れていないのか距離を感じる

 他にも色々あったが、男性営業社員にはなくて女性営業社員に横たわる問題点はこのようなものが見受けられた。

 具体的に、従業員意識調査の中で、「将来のキャリアプランや年間計画などに関して、あなたは上司と質の高いディスカッションが出来ていますか?」という設問があったのだが、男性と女性ではその満足度に20%以上の大きな差があった。

 この差について、営業本部の上級管理職の会議で報告した際(ダイバーシティに関しては、毎月上級管理職の会議の議題として確保されていた)、ある部長が少し眉をしかめて、「私は、男性の部下も女性の部下も同じシナリオで個別面談を進めている。全く差をつけていない。このような差がつくのは、逆に彼女たちの上司に対する評価が厳しすぎるのではないか?」的なコメントをされた。まわりの上級管理職の方たちも、頷いていた。

<次回へ続く>
 

 

ダイバーシティを理解するために 2

 

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  「ダイバーシティは解決されるべき課題ではなく、活かされる強み…」、何となくではあるが、その言葉を聞いた時に、一つの壁をスッとすり抜けたような感じがした。

 2017年の現在、一億総活躍社会とか女性活用とか言ってるけど、何と言ったらよいのか、その具体的な対応策はどのような目的を持って進められているのかなと考える事がある。

 ぼくが2004年に営業本部のダイバーシティ担当になった時にも、何か今横たわっている課題を解決しなければ的な発想から始まっていたような気がする。当時(今もかな?)はジェンダーダイバーシティが主流で、営業本部の総合職の中の女性比率は約10%と圧倒的に少なく、入社5年以内の彼女達の離職率も20%近かったと記憶している。

 理解が不足していると、ついつい枝葉の戦略や行動計画に走ってしまうのだけれど、本来の目的は何なのかを理解しておかないと、結局何のためにやっているのかわからなくなる。

 ダイバーシティをなぜやるのか?

 それは、課題を解決することではなくて、ダイバーシティに取り組むことで、企業にとっても、そこで働く個人にとっても価値があるからであり、それが目的となるはずだ。

 そもそもダイバーシティと言うのは、一人ひとりの違いが尊重され、価値を置かれ、個性が発揮される環境の事であり、そのような環境を組織で実現すると、モノカルチャー(例えば、日本人の男性だけの組織)な環境よりも、イノベーティブ(革新的)で付加価値のあるアイデアや製品が生まれやすくなる…。つまり違いが活かされることによって価値のある差別化(競合優位性)が生まれやすくなり、それにより企業の業績が良くなる訳だから、企業にとってはビジネスメリットが生まれ、取り組む価値がある。一方、そこで働く個人は、自分の活動や意見が価値を置かれ、積極的に会社で個性を発揮することによって、成長し、人生に充実感を感じる事が出来る。

 「働き甲斐のある会社ランキング」みたいなのがあったが、たしかぼくの働いていたこの会社は、連続して1位にランキングされていたことがあったと記憶している(たぶん…)。

 上に書いているようなことは、随分後になってから分かったことなんだけど、  ぼくがダイバーシティを進めていく上で「解決されるべき課題ではなく強み」という考え方に基づいているのは、この時からである。

<次回へ続く>

 

ダイバーシティを理解するために 1

 

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   営業本部時代の話をしよう。

   営業本部にてダイバーシティ担当者になってすぐ、ランチョン・ミーティングに出た話は前回したが、最初に参加したミーティングの後に、色々とダイバーシティに関する情報を集めたり、話を聞いたりした。

 ダイバーシティとは、日本では「多様性」と訳されているが、それでも今一つピンとこなかった。ダイバーシティという言葉だけでは、イメージが湧かないのだ。

 わからないので、そのわからなさを、ダイバーシティ専任マネージャーにお願いをして、個別に時間を作って教えてもらうことにした。

 初代ダイバーシティ専任マネージャーのKさんは、今でも仲良くさせていただき、ぼくにとっては優しくて頼りになるお姉さんのような存在の人であるが、Kさんとの付き合いは、ぼくが大学4年の時迄遡る。というのも、Kさんは、ぼくがこの会社を受けた当時、営業のトップだった本部長(米国人)の秘書をされており、ぼくの最終面接の時に通訳をしていただいたのだった。

  Kさんはその後、秘書という専門職から総合職にキャリアを変更され営業部にて、採用やトレーニングの開発や、実際営業として現場で経験等を積まれていた。そして、会社がダイバーシティ専門マネージャーを設置することになった時に、オープン・ジョブ・ポスティング(社内公募制度)にて募集がかけられ、Kさんは、「このポジションは、自分の個性や経験が発揮できる仕事だ!」と、手を挙げられ、北東アジア(日本と韓国)初代のダイバーシティ専任マネージャーに選ばれたのだった(そして、ぼくが2代目)。

 それまで、Kさんとは一緒に仕事をさせていただく機会は無かったが、ぼくにとっては、相談しやすいKさんがダイバーシティ・マネージャーであったことは非常に幸運な事だった。

 ぼくは今でもその最初のレクチャーの事をよく覚えている。ランチョン・ミーティングでの内容がさっぱりわからなくて、自分の準備不足を反省しつつ、食事も食べた気しなかったことを打ち明けたところ、Kさんは「気が付かなくてごめんね」と言ってくれた。

  ぼくは、自分の消極的な態度や不勉強さに引け目を感じていたので、Kさんからそんな気遣いのある優しい言葉をかけてくれるとは予想しておらず、その思いやりにとても救われた。それまであまり感じたことのなかった、予期せぬ相手の反応だった。それから、ダイバーシティについて基本的な事や、会社の戦略などを教えていただいた。

 その中で、一番印象に残っているKさんの言葉が、「ダイバーシティというのは、解決しなければならない課題ではなくて、活かされるべき強みなの」というものだった。

<次回へ続く>

 

ぼくの人生観を変えた配属 2

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 それから、縁あって2007年1月からダイバーシティ専任マネージャーとして人事本部に配属され、会社のダイバーシティ代表として、外部と接する機会が格段に増えはじめた。

 着任早々のある日、内閣府男女共同参画局から電話があった。その内容は、2月から立ち上げる「仕事と生活の調和(ワーク・ライフ・バランス)専門委員会」の専門委員になって欲しいと言う依頼だった。

 本来ならば、人事本部の代表が担当すべきだと思うのだが、当時の人事本部長に相談すると、「ボクは韓国人なので日本語が話せないし、キミが会社のダイバーシティ代表なんだから、キミが行くべきだ」とあっさり言われ、ぼくが会社の代表として内閣府の専門委員会に参加することとなった。

 不安を抱えながら、永田町にある内閣府の門をくぐり、会議室に入ると、いきなり「〇〇先生、こちらにお座りください!」と官僚と思しき方に座席を案内された。ぼくは後ろを振り返り「誰の事?」と道を開けたが、どうやらぼくの事を「先生」と呼んでいることが分かり、背中がぞくっとしたことを覚えている。

 会議室に入ると16名の委員が、神妙な顔をして席に座っており、後ろには官僚と思しき人々(所謂事務方?)が色々と打ち合わせをしていた。委員には連合や経団連などで要職に就かれている方々や、経済評論家の勝間和代さん、ワーク・ライフ・バランスの取組みで有名な小室淑恵さん、大人の脳ドリルの川島教授など、錚々たるメンバーの方がおられた。企業からはぼくの会社(正確には勿論「ぼくの会社」ではなく米国の大きな多国籍企業だが、都合上…)の他には、大手電機メーカーと東北地方の柔軟な働き方を展開し人材を育成されておられる中小企業の3社だけだった。

 第2回の会合で、企業事例の発表で、前述の3社がワーク・ライフ・バランスの取り組みを15分ずつ説明することになった。その発表の後、帰りのエレベーターで勝間さんと一緒になり、少し話したのだが、その時彼女は「電機メーカーさん(仮にA社とする)は制度が優れているが、あなたの所は企業理念の徹底に力を入れており、制度はそんなにすごくない(ギクッ!)が、制度が取れる環境がありますね。あと管理職の評価にダイバーシティの貢献をいれている。A社は入れていない。ボランティアでは環境は変わりませんよ」と私に感想を話してくれた。ぼくは、「あのたった15分のプレゼンでこれだけ鋭く本質を見抜くとは、頭が切れるな」と唸った事を覚えている。

 このような経験だけじゃなく、その会社は、ぼくに対して様々な機会を提供してくれた。配属されてたった一ヶ月のぼくに、「キミが会社のダイバーシティ代表なんだから、キミが内閣府に行くべきだ」という、あっさりとそして徹底した権限委譲が、それを物語っている。

 結果として、その権限移譲からぼくは沢山のことを学び、そこで発信することにより、会社と社会に少しは貢献できたかもしれない。

 その会社の行動原則(プリンシプル)のひとつに、「会社と個人の利害は分かち難いものです」というのがあった。私見だが、会社が個人の成長を促す機会を提供し、その機会を得て成長した個人が会社や社会に貢献する仕組みが理想だと思う。人生の多くの時間は仕事をしているわけだから、その仕事の時間が充実していれば、人生も必然的に充実するし、充実した人生を送っている人は、仕事も充実しているはずだと思う。仕事がオンでそれ以外がオフでははく、どちらもオンである人生を送っている人が、真の充実感を得ることが出来るのではないかと思ったりする。

 ワーク・ライフ・バランスとは、時間のバランスをいうのではなく、その充実度合いのバランスをうまく取れている生き方であるべきだとぼくは思う。

<次回へ続く>

 

ぼくの人生観を変えた配属 1

  先述した通り、ぼくは、十数年の営業本部での活動の後、2004年6月に営業本部内の人事部に配属された。当初は、採用とトレーニングの担当だったのだが、一ヶ月程経った或る日、上司に呼ばれて、「現職に加えて、キミに営業本部のダイバーシティ担当になってもらいたいと思う」と言われた。「我々は、全社的にダイバーシティをビジネス戦略のひとつとして取り入れることが決定し、営業本部もダイバーシティ活動に本腰を入れていくと言う表明もこめて、特に男性が多く、得意先も男性社会の多い営業本部であるからこそ、男性のキミに担当してもらいたい」との理由だった。

 当時のぼくは「ダイバーシティ」に関して、全く興味も無く「セクハラのトレーニングでもするのか」程度の認識しかなかった。

 それからすぐに、ぼくの前任者だった女性に、「毎月第二水曜日の昼休みに『ダイバーシティ・ネットワーク・ミーティング』という、社内の各本部のダイバーシティ担当者が集う、ランチョン・ミーティング(昼休みに昼食を食べながら和やかに行う会議)があるんですけど、絶対出なきゃいけないっていう会議じゃないんです。でも、出たら参考になると思いますよ。それが今日あるんですが行ってみます?」と言われた。

 参加しない理由もないし、ダイバーシティとやらを知るきっかけにでもなればと思い、軽い気持ちでその彼女と一緒に出ることにした。

 昼休みになり、近所にお弁当を買いに行った都合で、ちょっと遅れて会議室のドアを開けた瞬間、そこでは、十名ほどの女性が、流暢な英語で、楽しそうにランチを食べながらダイバーシティの議論をしていた。ぼくは、女性ばかりのミーティングに参加したことがそれまでに無く、また英語も得意ではなく、ダイバーシティの知識も無く、気がついた時には、何も無かったように「回れ右」をして部屋を出ようとしていた。

 もちろん、そう思い通りにいく筈もなく、大人しく椅子に座り、繊細なプラモデルをいじる少年のように、時間を掛けて、音を出さないように弁当の蓋を開けはじめた。

 「ミーティングでは必ず発言をする」ことと、「出された食べ物は残さない」ことがぼくの数少ない決め事だったのだが、まるで「クイズ・ドレミファドン」で、お手付きをしてバツ印のついたマスクをつけられた解答者(比喩が古いが気にしてはいけない)の様に、食事も喉を通らず、ただ座って遠い眼をして26階の窓から見渡せる大阪湾を眺めながら、時間が流れていくのをただ見送っていた(海は広いな、大きいなぁ…)。

  ぼくの入社以来の決め事は、海辺に造られた砂の城のように、呆気なく崩れ落ちていったのは言うまでもなかった。

 このままでは、「お地蔵さん」とか「断食くん」とか訳のわからないあだ名で陰口を叩かれてしまうという恐怖に駆られ、それから早速、当時のダイバーシティ専任マネージャーに時間を作ってもらい、ダイバーシティの基礎知識や会社の方向性のレクチャーを受けたり、新聞記事のスクラップや本、インターネットなどでダイバーシティと名の付くものは、片っ端から読み漁り、翌月のミーティングに臨むことになった。

 努力のお陰か、大体何を話しているのか理解出来るようになり、全体的なコンセンサスが、ちょっと営業部門とは違う方向で決まりそうになった時に、ぼくは手を挙げて、英語で発言を始めた。

 しばらくは英語で続けていたが、途中でどうしても伝えたいことが英語で伝えることができない、でもどうしても伝えたいという状況に陥り、「スミマセン、どうしても伝えたいことがあるので、ここから日本語で話させて下さい」と英語で言った。

 すると、当時法務本部長(米国出身・もちろん女性)が「気にしないで、私も日本語が話せない」と言ってくれた。

 ぼくは、すっと心に優しい風が吹いたような心地よさを感じた。

 そして彼女は、「あなたの意見は、面白いし納得できる」と共感してくれた。

 今思えば、初回の会議で私は少数派(マイノリティ)の何とも言えない居心地の悪さを実感し、二回目の会議で、勇気をもって扉を叩いたことで、インクルージョン(包摂性)という包み込まれるような感覚を実感したのだ。

 きっと他の出席者は思っていないのに、少数派は思った以上に緊張するし、居心地が悪い。そう感じるのはぼくだけではないと思う。

 この経験でぼくはダイバーシティと(そして後からきっと触れることになるだろう)インクルージョンに関して、その奥深さに興味を持つこととなった。

 また翻って考えると、今回のぼくの少数派の経験は、当時の営業本部にいつも存在していた「男性ばかりに女性ひとりだけ会議」で女性が感じている感覚ではないのかと気づいた。

 当時、この会社はダイバーシティが出来ている等の評判が外部からはあったのだが、その時、「ぼくにはやることがまだたくさんある」と思ったことを覚えている。

<次回へ続く>

はじめに

はじめに

 ぼくは、以前勤務していた外資系企業にて、ふとしたきっかけでダイバーシティ担当になった。その会社の取り組みは比較的有名だったので、在任中には、行政や学校、あるいは色々な企業から声をかけていただき、ダイバーシティに関する会社の取り組みなどを紹介させていただく機会があった。

 当時、ダイバーシティという言葉は聞いたことがあるけれど、それ自体の意味や、なぜ組織に必要なのかなど、今ひとつよう分からんという印象を持たれている方が多かった。

 もちろん、ぼくも就任当時は全く意味が分からず、正直興味もあんまりなかった。

 その後どう変わっていったのか、思い出しながらこのブログに書いていこうかと思っている

 ダイバーシティに全く興味のなかったぼくが、その魅力にはまっていった経緯(いきさつ)を紹介することで、何かよう分からんと思っている人に、少しでもダイバーシティの魅力や意義を知ってもらえたらなと思っている。

 その前に、簡単に、ぼくの経歴を書いておこうと思う。

 ぼくは、大学を卒業して、外資系のトイレタリーのメーカーに就職し、その後、関西や東海地方で、十年あまり営業で、今でいうイオンとかイトーヨーカ堂みたいなスーパーや薬局チェーンの本部で紙おむつ、シャンプー、化粧品などを店頭で陳列したり、イベントをやってもらうよう企画提案をするような仕事をしていた。

 その後、営業部を統括する人事部に配属され、採用やトレーニングを担当することになった。そして、しばらくしてダイバーシティと出会った。その頃の話を今回はしようと思う。

 色々思い込みや勘違い、間違った認識もあるかと思いますが、その点はご容赦くださいませ。