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ダイバーシティは面白い

ダイバーシティ&インクルージョンについて色々思ったことを書いたブログ

ダイバーシティを理解するために その1

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2004年に戻ろう。  

   営業部にてダイバーシティ担当者になってすぐ、ランチョンミーティングに出た話は前回したが、最初に参加したミーティングの後に、色々とダイバーシティに関する情報を集めたり、話を聞いたりした。

 ダイバーシティとは、日本では「多様性」と訳されているが、それでも今一つピンとこなかった。ダイバーシティという言葉だけでは、イメージが湧かないのだ。

 わからないので、そのわからなさを、ダイバーシティ専任マネージャーにお願いをして、個別で時間を作ってレクチャーしてもらうことにした。

 初代ダイバーシティ専任マネージャーのKさんは、今でも仲良くさせていただき、私にとっては優しくて頼りになるお姉さんのような存在の人であるが、Kさんとの付き合いは私が大学4年の時までさかのぼる。というのも、Kさんは、ぼくがこの会社を受けた当時、営業のトップだった本部長(米国人)の秘書をされており、ぼくの最終面接の時に通訳をしていただいたのだった。

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人生観を変えた配属 後編

私の人生観を変えた配属 後編

 それから、縁あって2007年1月からダイバーシティ専任マネージャーとして人事本部に配属され、会社のダイバーシティ代表として、外部と接する機会が増えた。着任早々、内閣府男女共同参画局から電話があり、その内容は、2月から立ち上げる「仕事と生活の調和(ワーク・ライフ・バランス)専門委員会」の専門委員になって欲しいと言う依頼だった。

 本来ならば、人事本部の代表が担当すべきだと思うのだが、当時の人事本部長に相談すると、「ボクは韓国人なので日本語が話せないし、キミが会社のダイバーシティ代表なんだから、キミが行くべきだ」とあっさり言われ、ぼくが会社の代表として専門委員会に参加することとなった。

 不安を抱えながら、永田町にある内閣府の門をくぐり、会議室に入ると、いきなり「〇〇先生、こちらにお座りください!」と官僚に案内された。ぼくは後ろを振り返り「誰の事?」と道を開けたが、どうやらぼくの事を「先生」と呼んでいることが分かり、背中がぞくっとしたことを覚えている。

 会議室に入ると16名の委員が、神妙に席に座っており、後ろには官僚と思しき人々が色々と打ち合わせをしていた。委員には連合や経団連などで要職につかれている人々や、経済評論家の勝間和代さん、ワーク・ライフ・バランスの第一人者である小室淑恵さん、大人の脳ドリルの川島教授など、錚々たるメンバーで構成されており、企業からは我々の他には、大手電機メーカーと東北地方の柔軟な働き方を展開し人材を育成おられる中小企業の3社だけだった。

 第2回の会合で、企業事例の発表で、前述の3社がワーク・ライフ・バランスの取り組みを15分ずつプレゼンをすることになった。その発表の後、帰りのエレベーターで勝間さんと一緒になり、少し話したのだが、その時彼女は「電機メーカーさん(仮にA社とする)は制度が優れているが、あなたの所は企業理念の徹底に力を入れており、制度はそんなにすごくない(ギクッ!)が、制度が取れる環境がありますね。あと管理職の評価にダイバーシティの貢献をいれている。A社は入れていない。ボランティアでは環境は変わりませんよ」と私に感想を話してくれた。ぼくは、「あのたった15分のプレゼンでこれだけ鋭く本質を見抜くとは、頭が切れるな」と唸った事を覚えている。

 このような経験だけじゃなく、その会社はぼくに対して様々な機会を提供してくれた。配属されてたった一ヶ月のぼくに、「キミが会社のダイバーシティ代表なんだから、キミが(内閣府)行くべきだ」という、あっさりとそして徹底した権限委譲が、それを物語っている。そして、そこからぼくはたくさんのことを学び、そこで発信することにより、会社と社会に少しは貢献できたかもしれない。

 会社のプリンシプル(行動原則)のひとつに、「会社と個人の利害は分かち難いものです」というのがあった。私見だが、会社が個人の成長を促す機会を提供し、その機会を得て成長した個人が会社や社会に貢献する仕組みが理想だと思う。人生の多くの時間は仕事をしているわけだから、その仕事の時間が充実していれば、人生も必然的に充実するし、充実した人生を送っている人は、仕事も充実しているはずだと思う。仕事がオンでそれ以外がオフでははく、どちらもオンである人生を送っている人が、真の充実感を得ることが出来るのではないかと思ったりする。

 ワーク・ライフ・バランスとは、時間のバランスをいうのではなく、その充実度合いのバランスをうまく取れている生き方であるべきだとぼくは思う。

 

人生観を変えた配属 前編

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はじめに

 ぼくは、以前勤務していた外資系企業にて、ふとしたきっかけでダイバーシティ担当になった。その会社の取組みは比較的有名だったので、在任中には、行政や学校、あるいは色々な企業から声をかけていただき、ダイバーシティに関する会社の取り組みなどを紹介させていただく機会があった。

 当時、ダイバーシティという言葉は聞いたことがあるけれど、それ自体の意味や、なぜ組織に必要なのかなど、今ひとつよう分からんという印象を持たれている方が多かった。

 もちろん、ぼくも就任当時は全く意味が分からず、正直興味もあんまりなかった。

 その後どう変わっていったのか、思い出しながらこのブログに書いていこうかと思っている

 ダイバーシティに全く興味のなかったぼくが、その魅力にはまっていった経緯(いきさつ)を紹介することで、何かよう分からんと思っている人に、少しでもダイバーシティの魅力や意義を知ってもらえたらなと思っている。

 その前に、簡単に、ぼくの経歴を書いておこうと思う。

 ぼくは、大学を卒業して、外資系のトイレタリーのメーカーに就職し、その後、関西や東海地方で、十年あまり営業で、今でいうイオンとかイトーヨーカ堂みたいなスーパーや薬局チェーンの本部で紙おむつ、シャンプー、化粧品などを店頭で陳列したり、イベントをやってもらうよう企画提案をするような仕事をしていた。

 その後、営業部を統括する人事部に配属され、採用やトレーニングを担当することになった。そして、しばらくしてダイバーシティと出会った。その頃の話を今回はしようと思う。

 色々思い込みや勘違い、間違った認識もあるかと思いますが、その点はご容赦くださいませ。

 

私の人生観を変えた配属 前編

  先述した通り、ぼくは、十数年の営業部での活動の後、2004年6月に営業部内の人事部に配属された。当初は、採用とトレーニングの担当だったのだ、一ヶ月ほどたった或る日、上司に呼ばれて、「現職に加えて、キミに営業部のダイバーシティ担当になってもらいたいと思う」と言われた。「我々は、全社的にダイバーシティをビジネス戦略のひとつとして取り入れることが決定し、営業部もダイバーシティ活動に本腰を入れていくと言う表明もこめて、特に男性が多く、得意先も男性社会の多い営業部であるからこそ、男性のあなたに担当してもらいたい」との理由だった。

 当時のぼくは「ダイバーシティ」に関して、全く興味も無く「セクハラのトレーニングでもするのか」程度の認識しかなかった。

 それからすぐに、ぼくの前任者だった女性に、「毎月第二水曜日の昼休みに『ダイバーシティ・ネットワーク・ミーティング』という、社内の各部署のダイバーシティ担当者が集う、ランチョン・ミーティング(昼休みに昼食を食べながら和やかに行う会議)があるんですけど、絶対出なきゃいけないっていう会議じゃないんです。でも、出たら参考になると思いますよ。それが今日あるんですが行ってみます?」と言われた。

 出ない理由もないし、ダイバーシティとやらを知るきっかけにでもなればと思い、その彼女と一緒に出ることにした。

 昼休みになり、近所にお弁当を買いに行った都合で、ちょっと遅れて会議室のドアを開けた瞬間、そこでは、十名ほどの女性が、流暢な英語で、楽しそうにランチを食べながらダイバーシティの議論をしていた。ぼくは、女性ばかりのミーティングに参加したことがそれまでに無く、また英語も得意ではなく、ダイバーシティの知識も無く、気がついた時には、何も無かったように「回れ右」をして部屋を出ようとしていた。もちろん、そう思い通りにいくはずもなく、おとなしく椅子に座り、繊細なプラモデルをいじる少年のように、時間を掛けて弁当の蓋を開けはじめた。

 「ミーティングでは必ず発言をする」ことと、「出された食べ物は残さない」ことが私の数少ない決め事だったのだが、まるで「クイズ・ドレミファドン」で、お手付きをしてバツ印のついたマスクをつけられた解答者(比喩が古い!)のように、食事も喉を通らず、ただ座って遠い眼をして26階の窓から見渡せる大阪湾を眺めながら、時間が流れていくのをただ見送っていた。

 このままでは、「お地蔵さん」とか「断食くん」とか訳のわからないあだ名で陰口をたたかれてしまうという恐怖に駆られ、それから早速、当時のダイバーシティ専任マネージャーに時間を作ってもらい、ダイバーシティの基礎知識や会社の方向性のレクチャーを受けたり、新聞記事のスクラップや本、インターネットなどでダイバーシティと名の付くものは、片っ端から読み漁り、翌月のミーティングに臨むことになった。

 努力のお陰か、大体何を話しているのか理解できるようになり、ちょっと営業部門とは違う方向で話しが決まりそうになったときに、手を上げて、英語で発言を始めた。

 しばらくは英語で続けていたが、途中でどうしても伝えたいことが英語で伝えることができない、でもどうしても伝えたいという状況に陥り、「スミマセン、どうしても伝えたいことがあるので、ここから日本語で話させて下さい」と英語で言った。

 すると、当時法務部門のトップであった女性ディレクター(米国出身)が「気にしないで、私も日本語が話せない」と言ってくれた。

 ぼくは、すっと心に優しい風が吹いたような心地よさを感じた。

 そして彼女は、「あなたの意見は、面白いし納得できる」と共感してくれた。

 今思えば、初回の会議で私はマイノリティ(少数派)の何とも言えない居心地の悪さを実感し、二回目のミーティングで、勇気をもって扉を叩いたことで、インクルージョン(包摂性)という包み込まれるような感覚を実感したのだ。

 きっと他の出席者は思っていないのに、マイノリティは思った以上に緊張するし、居心地が悪い。そう感じるのはぼくだけではないと思う。

 この経験で私はダイバーシティと(そして後からきっと触れることになるだろう)インクルージョンに関して、とても奥深さと興味を持つこととなった。

 また一方で、このマイノリティの経験は、当時の営業部にいつも存在していた「男性ばかりに女性一人のミーティング」で女性が感じている感覚ではないのかと思うようになった。

 当時、この会社は既にダイバーシティができているとか進んでいると言う評判が外部からはあったのだが、その時、「ぼくにはやることがまだたくさんある」と思ったことを覚えている。

<次回へつづく>